大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

神戸家庭裁判所姫路支部 昭和46年(家)182号 審判 1974年6月16日

申立人 森岡泰男(仮名)

相手方 森岡テル代(仮名) 外二名

主文

一  被相続人森岡惣吉の遺産を次のとおり分割する。

1  別紙第一目録記載<5>の土地は相手方赤井みち子の取得とする。

2  別紙第一目録記載<6>の土地は相手方西浦ちよ子の取得とする。

3  申立人森岡泰男は相手方西浦ちよ子に対し金三四一、一七〇円を支払うこと。

4  別紙第一目録記載<1><2>、<3>、<4>、<7>ないし<16>(<9>、<10>については各-1、-2とも)の各不動産ならびに別紙第二目録(一)および(二)記載の各土地(うち(一)と(二)の<1>とは重複記載)に対する小作権の権原たる賃借権を含め、その余の遺産はすべて申立人森岡泰男の取得とする。

二  申立人森岡泰男ならびに相手方森岡テル代および相手方西浦ちよ子は、相手方赤井みち子に対し、別紙第一目録<5>の土地につき、

申立人森岡泰男ならびに相手方森岡テル代および相手方赤井みち子は、相手方西浦ちよ子に対し、別紙第一目録記載<6>の土地につき、

相手方森岡テル代、相手方西浦ちよ子および相手方赤井みち子は、申立人森岡泰男に対し、別紙第一目録記載<1><2>、<3>、<4>、<7>ないし<16>(<9>、<10>については各-1、-2とも)の各不動産につき、

それぞれ、本遺産分割を登記原因とする持分(各自の持分すなわち相手方森岡テル代は九分の三、申立人森岡泰男ならびに相手方西浦ちよ子および相手方赤井みち子は各九分の二の各全部)移転の登記手続をせよ。

三  申立人森岡泰男は、

相手方赤井みち子に対し、別紙第一目録記載<5>の土地を、相手方西浦ちよ子に対し、別紙第一目録記載<6>の土地をそれぞれ引渡せ。

四  審判手続の費用中鑑定人辻正一に支給したもののうち金六六、六六七円は相手方西浦ちよ子の負担とし、その余の審判、調停のための費用はいずれも各自の負担とする。

相手方西浦ちよ子は、申立人森岡泰男に対し、上記六六、六六七円を支払え。

理由

第一調査の結果明らかな事実

被相続人森岡惣吉(明治三四年一〇月一〇日生)は昭和四一年二月一二日(当時六四歳)に死亡し、相続が開始した。

その相続人は、妻である相手方森岡テル代、ならびに、長男である申立人森岡泰男、長女である相手方西浦ちよ子および二女である相手方赤井みち子の四名である。

被相続人は、前戸主である父森岡壮治(文久二年正月二五日生)が昭和五年八月二五日に死亡したことにより、その長男として家督相続をし、生前自家農業(専業)を営んできたものである。

相手方森岡テル代(明治三六年一〇月一六日生)は、大正一二年一〇月二〇日被相続人と婚姻し、以後農家の嫁として、また主婦として、被相続人と住居および生計を一にし、家庭および自家農業の維持発展に協力してきたものであり、この間被相続人との間で前記長男、長女および二女の三子をもうけ養育した。被相続人死亡後は、引続き従前の家に居住し、長男である申立人森岡泰男と生計を一にしているが、農業の面では、忙しいときに手伝う程度にとどまつている。

申立人森岡泰男(大正一三年二月八日生)は、高等小学校卒業後被相続人と住居および生計を一にし、第二次世界大戦末期に一時川崎航空に工員として働いたことがあり、また戦後一時植木職人等として外働きをしたことがある以外は、終始被相続人とともに自家農業に専念し、独身時代はもちろんのこと、昭和二五年ごろに結婚してからは妻ともども(もつとも、その妻が一時実家に帰つたこともあつたが)、その維持発展に努めてきており、被相続人の農業の後継者たる立場にあるものである。げんに被相続人死亡後は、そのまま従前の住居に居住し、被相続人の農業の一切を引きついでこれに従事し、祭祀を承継したほか同居の母たる相手方森岡テル代とも生計を一にしてこれを扶養している。

相手方西浦ちよ子(大正一五年三月一五日生)は、被相続人ら両親のもとで旧制女学校卒業後教員をしながら上級学校に進学し、終戦後はこれをやめて家庭にあつたのち、昭和二二年ごろ前夫谷村広一郎と結婚して家を出、昭和二六年ごろ同人に死別してからは同人との間の二児をともなつて被相続人方に帰り、しばらく住居を一にして店員、生命保険外交員等をして働いたが、やがて現夫西浦清隆と親しくなり、昭和二九年ごろ当時国鉄職員をしていた同人と再婚し(婚姻届出は昭和三〇年六月一日)て家を出、それ以後は、同人の養子になつた前記二子たちとともに同人と家庭を営み、同人との間でさらに二子をもうけている。しかし、同人は昭和四二年ごろ事故で身体を傷害したことから国鉄を退職し、その後無職状態が続き、またちよ子自身も農協職員として働いていたが、昭和四七年四月ごろに退職している。なお、最初の結婚当時、被相続人から当時の家庭の情況に相応した嫁入仕度をしてもらい、ふとん、たんす、整理だんす、長持、鏡台、下駄箱、針道具等を持参した。

相手方赤井みち子(昭和九年二月八日生)は、被相続人ら両親のもとで新制高等学校卒業後一時勤務に出たことがある以外は家庭にあり、家事手伝などに従事したのち昭和三二年ごろ現夫赤井靖広と結婚して家を出、以来同人と世帯を営んでいるが、同人との間に三子があり、現在同人が会社員として勤務しているほか、自らも会社員としてとも働きをしている。なおこの結婚にさいしては、被相続人から当時の家庭事情に相応した嫁入仕度をしてもらい、ふとん、たんす、洋服だんす等を持参した。

相手方森岡テル代は、その相続分全部を申立人森岡泰男に譲渡し、申立人はこれを譲受けた。

相手方赤井みち子は、被相続人の遺産から別紙第一目録記載<5>の土地をもらえばそれでよいとし、遺産分割によりその取得者となることを条件としてその余の相続分の全部を申立人森岡泰男に譲渡し、申立人はこれを譲受けた。

第二申立人森岡泰男の言分

別紙第一目録記載の各不動産が被相続人の遺産である。

他に、被相続人の遺産として○○市農業協同組合に対する被相続人名義の普通貯金債権一七、三〇四円があつたが、これは相続開始後引出し、申立人において被相続人の葬儀費用の一部に充当して使用した。

以上のほかに被相続人の遺産はない。

別紙第三目録記載の各不動産は、申立人が自らの資力によつて取得した申立人固有の物件であるから、遺産に含まれるはずはない。

別紙第二目録(一)および(二)の各田(うち(一)と(二)の<1>は重複)を被相続人の代から地主井村としから賃借して小作していることは認めるが、終戦後その賃借人名義を申立人に切換え、その後被相続人生存中はもちろんのこと、同人死亡後も現在に至るまで引続き申立人において小作しているから、その権利は遺産に属さない。げんに小作していない者には耕作権なり小作権はない。

相手方西浦ちよ子がいう○○市××の△△池の水利補償については、昭和四五年秋ごろから同池買収の話があり、申立人は昭和四六年に五、二六三、五三〇円の金員を受領したが、これは、申立人が△△池の水を××地区の灌漑用水として使用し、水利費、土木費を支払つてきたことに対し、水利権を放棄することの代償として申立人に支払われたものであつて、被相続人の遺産とは関係がない。

申立人は高等小学校卒業後被相続人と同居し、二〇余年間の長きにわたり家業である農業の主体になつて働き、この間昭和二五年に妻久子を迎え、妻ともどもに給料ももらわず財産の維持管理につとめてきた。これらの財産保全に対する寄与、功績をとくに考慮してもらいたい。

相手方西浦ちよ子は、申立人と異なり、旧制女学校から結婚へと進み、被相続人から学資、結婚資金の援助を得てきたが、申立人は、被相続人の生前には家庭のために出稼ぎに行つたこともあるし植木職等の仕事に従事したこともある。また、申立人は両親と共同生活をし、その扶養をし、被相続人死後においては祖先の祭を行い、森岡家の唯一の相続人として世間とつきあいかつ遺産の保持に努力をしている。これらの諸点もまた遺産分割にあたり十分斟酌されたい。

第三相手方西浦ちよ子の言分

別紙第一目録記載の各不動産は被相続人の遺産である。

○○市農業協同組合に対する被相続人名義の普通預金債権一七、三〇四円も被相続人の遺産である。

○○市××にある△△池買収にともなう水利補償金五、二六三、五三〇円も遺産であると考える。

別紙第二目録(一)の土地に対する小作権も、被相続人存命中から小作しているものであるから、遺産であると考える。

別紙第三目録の各不動産は、申立人森岡泰男名義で取得されているが、申立人自身には購入資力があつたとは思われず、被相続人の援助があつたはずであるから、これらもまた遺産に含まれるのではないかと考える。

第四当裁判所の判断

一  別紙第一目録記載の各不動産が被相続人の遺産であることは相続人間において争いがない。このほかに、○○市農業協同組合に対する被相続人名義の普通預金債権一七、三〇四円が被相続人の遺産であつたことも当事者間に争いがないが、その払戻を受けたうえ被相続人の葬儀費用の一部に充当使用ずみである旨の申立人の言分はそのまま是認することができるから、これをもつて遺産分割の対象とすることはしない。

別紙第三目録記載の各不動産中、<1>ないし<8>の各物件は、いずれも、昭和二五年ごろから昭和三五年ごろまでの間に申立人が自作農創設特別措置法による売渡を受けたりあるいは他から買求めるなどして申立人名義でその所有権を取得したものであり、<9>の物件は、被相続人死亡後の昭和四六年ごろに申立人が新築してその所有権を取得したものであるから、これらをもつて被相続人の遺産であるとすることはできない。

別紙第二目録(一)および(二)の各土地(このうち(一)と(二)の<1>とは重複する)に対する小作権について考えるに、被相続人死亡後これらの土地を現実に耕作しているのは申立人であるが、いずれも被相続人の代からの古くからの小作地である(小作権の権原は賃貸借契約による賃借権と推定される)ことからすれば、被相続人死亡当時においてもその名義は被相続人に帰属し(小作権の権原名義を対外的に変更するには厳格な手続を必要とするが、そのような手続の履践された事実は認められない)、遺産性があるものとしなければならない。ただし、この権原は、申立人が長年にわたつて被相続人と共同して農業経営に従事し、自らも労力を投入して該土地の農耕に努めてきたことによつてはじめて被相続人死亡時まで維持することができたものであり、しかも被相続人死亡後においても、後継者たる申立人において現実に該土地の農耕を維持継続する限りにおいてはじめてこれを保持し得る性質のものであるから、被相続人と申立人との内部関係においては、両名が長年共同して農業を経営し続けてきた過程において、いわゆる持戻を必要としないとの被相続人の特別の意思表示(この意思表示は遺留分に関する民法の規定にとうてい違反するものでないから有効である)のもとに、その権原を被相続人から申立人に移譲するとの合意がなされていたものと推定することが可能である。このように推定したところで、対外的には被相続人の遺産であることには変わらず、相続を機会に対外的権利関係の帰属を整理する必要があるから、遺産分割の対象となることはもちろんである。

○○市××の△△池の水利補償金に関して考えるに、被相続人死亡後の昭和四五年八月七日、○○市が○○市××村財産区から同池の土地を買収し、その買収代金のうち三分の一相当額が水利補償金として各水利権者にその耕作面積に応じて配分されることになり、これによりそのころ申立人は耕作面積一町一反四畝一五歩に対するものとして金五、二六三、五三〇円を受取つていることが認められる。しかし、この補償金を受取り得ることになつたことの基礎にある権益は、申立人が当時権原にもとづき農地を耕作し、農業を営んでいたことにあるとみなければならず、その状態は被相続人死亡当時から引継がれているものであるから、その権益そのものについて遺産性を認めるのが相当である。すなわち、被相続人死亡当時被相続人と申立人は被相続人所有および申立人所有等の農地を権原にもとづき耕作し、共同して農業を経営していたものであり、この事実そのものによつてすでに将来水利補償を受け得る権益が形成されていたものであり、この権益そのものについて遺産性を認めなければならない。ただし、この権益は、このように権原にもとづき耕作していた農地の所有権その他の土地地盤に対する権利から当然派生するものではなく、これらの権利を用いて農業を経営していたという事実の存在によつてはじめて形成されたものであり、申立人は被相続人と共同して長年にわたりこの農業経営に従事していたものであるから、その権益の二分の一は申立人に帰属し、その余の二分の一の限度においてのみ被相続人の遺産であるとみなければならない。そしてこの遺産たる部分の権益の評価額は、金五、二六三、五三〇円の二分の一である金二、六三一、七六五円とみるよりほかがない。

二  相手方西浦ちよ子および同赤井みち子の各結婚時における被相続人からの婚姻のための贈与については、いまさらその内容および価額を確定することは不能に近く、仮に確定し得ても、遺産の価額に比較してきわめて僅少であるものと考え得るから、いわゆる持戻しの取扱いをしない。

申立人森岡泰男のいわゆる寄与分については、同人が長年被相続人と同居し、生計を一にして共同して農業経営に従事し、これにより被相続人の資産を維持してきた功績は少なからざるものと考えられるが、反面申立人は、この間農業によつて自らの生計を維持するとともに別紙第三目録記載<1>ないし<8>の各不動産を固有の財産として入手し、かつ前記のとおり被相続人から小作権原の移譲を受け、さらには農業共同経営者の一員として自らに帰属する権益をも形成してきているから、この寄与につきこれ以上の特別の考慮を払うことはしない。

したがつて、遺産に対する相手方西浦ちよ子の具体的相続分は九分の二であり、その余の相続人(申立人ならびに相手方森岡テル代および同赤井みち子)の具体的相続分の合計は九分の七である。

三  遺産である別紙第一目録記載の各不動産の現況および評価額等は別表記載のとおりである。このうち<15>の物件は学校(○○市立××小学校)の敷地として○○市に貸与されており、その評価額は収益価格としてのものである。その余の各物件は、農地が大部分であるが、これら農地についても、その現況欄記載のごとき事情で宅地化の傾向が強いので、収益価額によることなく、<1>ないし<6>および<8>については宅地(更地)としての交換価格を基礎にして、<10>ないし<14>(うち<12>の山林は<11>の土地に隣接する斜面である)については宅地見込地(更地)としての交換価格を基礎にして各評価額が算定されている。ただし、<13>の物件は、賃貸借契約により他に小作させているものであるから、いわゆる小作権者への帰属価格を控除して評価額が算定されている。

<16>の物件は被相続人らの住居に使用されていた建物であり、その後も申立人および相手方森岡テル代が同居してその住居に使用しているものであり、<9>-1、2はその建物の敷地(家敷)であるから、これらは申立人に取得させるのが相当である。

<13>および<15>についても、前記賃貸等の事情があるのでいずれも申立人に取得させて今後の管理、処分にあたらせるのが相当である。

<3>、<10>ないし<12>および<14>は、いずれもその利用状況の点において農地性の程度が比較的高く、げんに申立人が農地として使用中のものであり(うち<3>は、申立人において耕作中の別紙第二目録(二)<2>の土地の仮換地に隣接している)、また<7>の宅地も申立人がその農業経営のために利用中であるから、これらはいずれも農業後継者たる申立人に取得させるのが相当である。

<1><2>、<4>ないし<6>および<8>は、その余の農地に比較して宅地化の程度が高いから、相手方赤井みち子および同西浦ちよ子には、これらの物件の中から取得させるのが相当である。

相手方赤井みち子には、前記した条件附相続分譲渡の事情があるので、<5>の物件を取得させるのが相当である。これにより、同相手方はその余の相続分をすべて申立人に譲渡し、申立人においてこれを譲受けたものと取扱われる。

相手方西浦ちよ子には、残余の<1><2>、<4>、<6>、<8>の物件中から、<1>ないし<16>の評価額合計二二三、三〇五、〇〇〇円の九分の二にあたる四九、六二三、三三三円にほぼ必適する物件を取得させるべきである。この点に関し、同相手方は、審理の過程において、「できれば<1><2>のうちいずれかを取得したい」との希望を表明したことがあり、一方申立人は「<1><2>のうちいずれか一方を同相手方に与えることはやむを得ないかもしれないが、その場合<1>を与えて<2>はどうしても自分に確保したい」と表明したことがあるので、<1>を同相手方に与えることとし、価額不足分をその余の物件(例えば<4>と<8>)で補うことが一見妥当のように見受けられないこともない。しかし、<1>と<2>は元地としてはあくまで一筆の土地であり、これに対してたまたま二個の仮換地が指定されているに過ぎない。したがつて、<1>を同相手方に、<2>を申立人に取得させるためには、双方の協力のもとに<1><2>の元地そのものを二個に分割し、かつ土地区画整理事業施行者に働きかけてその一方につき<1>を、他方につき<2>を各仮換地として指定してもらい、そのうえで遺産分割をするか、あるいは、先に遺産分割をして<1><2>の元地を双方の共有と定め、その後において双方協力のもとに上記同様の手続をとるかのいずれかが必要であり、いずれにしてもこの方策をとることは、現在の双方間の感情的対立の実情からして不可能に近く、かえつて妥当を欠くものといわなければならない。そうかといつて、<1><2>の土地全部を同相手方に取得させることは、価額不足分の調整が困難である。そこで、同相手方には<1><2>のいずれか一方をほしいとの希望を押さえてもらい、一方申立人には、<6>の物件が遺産のなかではもつとも有効面積が大きくしたがつてこれを自己において取得したいとの希望があるように見受けられるが、そこまでのわがままを言わずにおいてもらい、前記九分の二の価額にほぼ必適する<6>の物件を同相手方において取得し、その余の<1><2>、<4>および<8>を申立人において取得するものと定めるのがもつとも妥当であると考えられる。

このように相手方西浦ちよ子に<6>の物件を取得させることにした場合、前記九分の二の価額たる四九、六二三、三三三円よりも二四三、六六七円が超過する。

△△池の水利権補償の基礎となつた権益のうち被相続人に帰属する部分の評価額は前記のとおり二、六三一、七六五円であり、相手方西浦ちよ子の相続分九分の二をこれに乗じると五八四、八三七円になる。申立人は同相手方に対し、遺産分割の方法として、この金額と前記超過分との差額三四一、一七〇円を支払わなければならない。

別紙第二目録(一)および(二)記載の各土地(このうち(一)と(二)の<1>とは重複する)に対する小作権の権原(賃借権)は、前記事情にしたがい、申立人にこれを取得させるのが相当である。この場合、被相続人と申立人との間の内部関係においては、前記のごとき合意があつたものと推定されるから、同権原の遺産としての価額(その価額は、該土地が市街化区域の住居地域として定められ、土地区画整理事業も施行されている-申立人主張の(二)の各地積は同事業における仮換地の地積と理解される-が、いわゆる小作権の価格として実現するか否かは、将来地主において宅地化等のため解約を求めて来るか否かということと、その時点まで小作者において小作状態を維持し得るか否かということにかかつており、はなはだ浮動的であるから、地盤に対して所有権を有する別紙第一目録記載の各土地についての場合とは異なり、むしろ収益価格を中心において評価すべきであつて、この評価額を算出したとしてもそれは比較的僅少のものである)を評価し、それに対する相手方西浦ちよ子の取得分を算定することは必要としない。

以上で検討した分以外に被相続人の遺産があつたとしても、申立人が祭祀の承継者でありいわゆる森岡家の唯一の相続人の立場にあること等諸般の事情を考慮すると、これらはすべて申立人に取得させるのが相当である。これらその余の遺産については財産上の価格はないものと取扱うより仕方がないから、このように定めることによる代償をその余の相続人たる相手方西浦ちよ子に与えることはしない。

四  以上にしたがい、遺産分割として主文第一項のとおり定める。

遺産のうち別紙第一目録記載の各不動産については相続人四名を共有取得者とする相続登記がすでになされているから、これらについては主文第二項のとおり上記遺産分割にともなう所有権移転登記手続を命じることとする。

また、別紙第一目録<5>および<6>の各物件の現実の占有者は申立人であるから、同各物件については、主文第三項のとおり申立人に対し当該取得者に対する引渡を命じることとする。

審判調停の費用中鑑定人辻正一に支給したもの以外のものは当事者各自の負担とするのが相当であるが、同鑑定人に支給した金三〇万円(申立人において支出ずみ)については、その九分の二たる六六、六六七円の限度においてこれを相手方西浦ちよ子に負担させるのが相当であるから、主文第四項のとおりその負担を定めかつ償還を命じることとする。

よつて主文のとおり審判する。

(家事審判官 岡本健)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例